雨が降る。
 天(そら)から絹糸を垂らしたような雨が。
 しゃらしゃらと途切れる事なく、空の冷たい場所から、地面の温く湿った場所までを艶やかにつないでいた。



 兄が亡くなったのはこんな雨の降る日だった。
 はりつめた琴線が切れるように、兄は呆気無く、そして一人で逝ってしまった。






 その日も雨が降っていた。
 暫くぶりの雨で、暑さに当たっていた兄はようやく寝台の上に半身を起こせるようになっていた。
 学校から帰ってきた僕は、起こさないようにと静かに開けた部屋のドアを驚きのあまり乱暴に閉じてしまい、逆にたしなめられたほどだ。
「窓を開けてくれないか、」
 部屋の中と外気の温度差で少し曇った窓硝子を見ながら、兄はそう言った。
「今日は少し肌寒いよ。大丈夫なの、」
「部屋の中の湿気にうんざりしているんだ。」
 外の湿気も相当なもんだとも思ったが、確かに長い間閉めきられていた部屋の中の空気は重く、息苦しさを感じるのも無理はない。
 僕は寝台の向かいの壁にある腰窓に向かい、少し建てつけの悪い窓を体全体の体重をかけるようにして開けた。


    しゃらしゃらしゃら……


 雨音が部屋の中に染み込んでくる。僕は窓辺に立ったままで、途中で光ったり曇ったりする雨の糸を眺めていた。
「音が……。」
「え、」
「音がしないか、」
 兄は窓の方は見ず、正面を向いた姿勢で目を閉じたまま僕に問い掛けてきた。
「どんな、」
 窓の外には取りたてて音がするようなものは見受けられない。
「糸車の音だ。糸を紡ぐための道具。あぁ、これは……。」
 寝台の上の兄は不意に目を開き、じっと僕を見つめた。琥珀色の瞳に映った僕の顔はおそらく、今までにないほど間が抜けていたことだろう。

 僕と兄は一卵性双生児だが、顔以外はどこも似てはいなかった。まったく似ていないのなら救いもある。顔が似ているだけに他人は僕と兄がまったく同じ人間である事になんの疑いもないうえに、違いがある事を許してはくれない。
 学校の成績や運動能力、確かに数値的には違わないのかもしれないが、僕にしてみれば僕の心が届かないという事実が兄との違いだったし、兄の気持ちが伝わってこない不安が、劣等感となって僕の身体の中を埋め尽くすのに充分なほど膨張していた。

 雨音以外の音を見つけることができない僕は、そんなくだらないことで兄との違いを見つけては落ちこんでいる。

「水を……、喉が乾いた。」
「ああ、持ってくるよ。待ってて。」
 そのくらいしか役に立たないから、と同じように乾いていた喉の奥で呟いてみる。部屋を出てすぐ、喉か乾く仕組みは同じなんだと苦笑いしていた。

 水を入れた硝子のコップをもって部屋に戻った時には、兄はすでに亡くなっていた。


    からら、かたん。からら、かたん……。





 あの日以来、僕は雨の日を待つようになった。
 空から降る雨の糸を紡ぐ糸巻きの音を待つようになった。


 僕のために降る雨だ。
 届けられなかった想いを伝えるために、聞こえなかった言葉を受け取るための雨。
 あくまでも僕がそう思っているだけで、世の中にはなんの変哲ももない、ただの《雨》。
 ほら、雨音にまぎれて乾いた音が聞こえてきた。


    からら、かたん。からら、かたん……。


 女神たちは運命という名の糸を紡ぐ。いつか読んだ神話の本に、そんなことが書いてあった。 


    からら、かたん。からら、かたん……。


 急いで僕は外へ出た。
 しっとりと濡れたアスファルトは特有の鼻をつく臭いを漂わせ、所々の窪みに雨の糸を巻き取った跡を残している。


 ゆらゆらと揺れる水面に、兄の顔が映った。






‥了
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。