澄んで遠くなる蒼天。大気圏の外側まで届く視界に息を呑んだ。
「昼間の月を見ると、ここが惑星(ほし)だったと実感しないかい、」
 そう僕が尋ねる。隣の彼は同じように白い衛星眺め、すぐに目を逸らして嗤(わら)った。
「あの空色の向こうに宇宙が在るとでも、」
 くつくつと咽を震わせながら彼が僕を見た。その目は冷ややかで秋の初めの気温を僅かに下げる。
「あの天幕の向こう側が、在るとでも云うのかい、」
 続けられる彼の声に絶句し、言い返す言葉を落としてしまった僕は口を噤むほかなかった。
「この世界は、これだけだ。」
 彼は腕を広げ、ぐるりを見回す。伸ばした指先が届く範囲をそうだと云うように。
「……君が無宇宙論者(スピノザ)だとは思わなかった。」
「まさか。僕だってそこに在るものなら、在ると云うさ。」



 其処に在るのはただ其処に在ると云うだけの幻想

 僕達が翔(と)ぶ天(そら)は天蓋に描かれた夢



「君は大概現実を把握したほうが良い。」
 瑠璃色に薄く水を湛えて、彼が言い放つ。その瞳に見据えられながら、僕は眼下を覆う露草を思い浮かべていた。朝露を冠してひときわ鮮やかな花びら。途端に涙が溢れた。

 ぽろぽろ、ぽろぽろ、洗い流す。
 ぽろぽろ、ぽろぽろ、想いを流す。

 目の前の事実に視野が霞む。
「漸く理解(わか)った、」
 彼は哂った。やわらかく、そしてやすらかに。 
「喩えばここを出られたとしても、あの澄明な空気の膜からは出られやしない。」
「うん、」
「そして僕たちは風切羽を失くしてしまった。天(そら)どころか風にすら乗れやしないんだ。」
「うん。」
 並べられる真実を受け容れる度、世界が狭まる。
 最後に彼は一個の涙を零して云った。
「この禽篭の中だけしか、無い。あの真昼の月が宇宙(そら)に在ったとしても、」






‥了
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。