夕方のバスターミナルは沢山の人を撒き散らしながら、紺藍と橙の滲んだ空の下に佇んでいる。各々思うままに移動しているはずの利用客は精密に計算された絡繰りのように、それぞれのバスや隣接する地下鉄の階段へと飲み込まれていった。
 普段歩き慣れない人込みに翻弄されて、僕は自分の位置を見失い呆然と立ち尽くす。整然とした流れに乗れずにただの障害物と化した僕は、はぐれてしまった友人を強く思った。 「エル、こっちだ。」
 突然手首を掴まれ、引き出される。 ロータリーの外周に幾つか並んでいるワゴンの前で、ようやく僕はシアンの顔を見ることができた。
「まったく。相変わらずだな、エルは、」
「ごめん。有難う。」
 自分の情けなさを垣間見て俯く僕を、下から覗き込んで目を合わせるシアン。黄水晶(シトリン)の明るさの瞳がにこりと笑った。
「変わり玉だ。要るかい、」
「欲しい。」
 渇いた喉を潤すために、シアンの手にした白く粉をふいたような糖果を貰う。
 暫くすると鼻の奥がすっと抜ける。
「その顔は薄荷だな、」
 シアンの云う通りだ。地下鉄の中で舐めたときも薄荷だった。余程ついてないらしい。
 そんな僕を苦笑いと一緒に見やって、シアンは変わり玉を口に含むと口角を上げて僕を見る。
「当たりだ。ほら、」
 そう云って朱華色に変わった飴を舌の上に乗せて見せた。
「……。口の中がぴりぴりする。」
「交換してやるよ。来て、」
 咽の奥まで到達した苦味に嫌気がさしていた僕は、シアンの云った意味を深く考えずに傍に寄る。黄玉(トパーズ)色のシアンの瞳に囚われた瞬間、僕は呼吸するのを忘れていた。長い指が僕の顎に掛かる。同時に触れてくる唇。重ねられたまま入れ替わった変わり玉の味はよく解らず、ただ思ったより冷たかった。
「目を開けて、エル、」
 ゆっくりと瞼を開くと、間近にシアンの顔がある。途端に全身がどきんと跳ねた。続いて頬が熱くなったのを感じて慌てて後退る。
「もう、遅いよ。」
 シアンがにっこりと微笑んで僕を見た。
「……え、」
「それ媚薬だから。目を開けた時、最初に見た人を好きになる。」
「まさ、か……、」
 治まらない動悸にどうしたらいいか分からず、口の中の飴を噛んだ。
「あ、」
 掌に吐き出したそれは薔薇石英(ロォズクオーツ)の欠片。困惑する僕をシアンは愉しそうに眺めている。
「パックの使った惚れ薬だよ、今の季節にはこれがよく効く。」
「A Midsummer Night's Dream……、」
「真夏というにはちょっと早いけど、その分は鉱石(いし)の効能で補えるからね。」
 ちょうど日の入りを迎えた空は、濃紺に染め上がっていた。






‥了
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