春の月は輪郭が天(そら)に融けている。
「銀漢まで行って、今年最後の花を見てこないかい、」
 天に零れた乳白色の星の河を指差して、思い出したかのように君が云った。
 夜は昼間の温度を残してぬるまっている。もう、此処の花はほとんど散っていた。足元に敷き詰められた花弁が、花の季節の終わりを告げている。
 僕が視線を下げているのに気付いた君は、僕の考えていた事を読み取ってくすりと笑った。
「あそこまで上がればまだ花は残っているよ。」
 確かに銀漢と此処では気温が違う。散り際の花が見れるかも知れない。
「今日は月も綺麗だから、きっと宙(そら)に舞う花弁が群青天鵝絨(びろうど)に映えるはずだ。」
 君の言葉に濃紺の宙を横切る淡色の花弁の列を見て、僕は銀漢往きを快諾した。
「船(シャトル)は何所から出るの、」
「花の浮橋の向こう側に今夜着く。」
 僕らは小さく頷き合って、そして静かに駆け出した。
 夜の闇の中、月が追ってくるのが心地良い。足が自然に軽くなった。
 花がたゆたう場所が近くなった時、一陣の風が吹き抜ける。先を走る君は髪を掻き混ぜられた。それでも手櫛で梳きながら振り返り、僕を急かす。
「風が出てきた。急がないと花が流れてしまう。」
 浮橋にならなければ、船は着かない。僕らは向かい風に阻まれながらも、なんとか橋が散り散りになる前に、船に乗り込むことができた。
 船は銀漢を目指して高度を上げ、視界から地上を奪う。次に僕らの目に映ったのは、しっとりと滑らかな、まさに群青天鵝絨の宙だった。
 窓の外に大きな樹。それは見る間に花が残っている樹独特の境界の曖昧さが薄れ、鋭利な様の枝振りが表れる。後ろに有る十五に近い月齢の月に、くっきりと樹の影が映し出された。
「樹に月が咲いてる。」
 君が呟く。
 蒼白い月光の中を一片の花弁が名残惜しそうに、落ちるでもなく舞い上がるでもなく、ただ、すぅと流れた。






‥了
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