周知の事実って云うのは、

 僕と君の事を云うんだよ――。










 終業の鐘が鳴り終えると、教室の中が慌ただしくなる。机と椅子が授業中の役目を忘れてしまい、其処は賑やかな談話室(サロン)のそれと成り代わる。
「理清、一緒に――、」
 何故か一人で教室の扉へ向かおうとする彼を呼び止めた。
「ごめん、架乃。壬生先生に呼ばれてるんだ。次の理科の実験の事で、」
 僕の言葉を遮って、理清は肩越しに溜息交じりの笑顔を見せるとそのまま扉の向こうに消えて行った。騒がしいくらいの級友たちの声が遠退き、僕の周りだけ空洞になった気がする。
 理清が壬生先生の手伝いをする事は多い。いつもの事だ。そう自分に言い聞かせながら、アルコオルランプや試験管を器用に操る彼の細い指先を思い返していた。
 小首を傾げてフラスコの底を覗いた時の頬に映った睫の影。薬品壜を品定めするように掲げた時の首筋の艶やかさ。視線の流れ、指先の動き、理清のひとつひとつが僕を魅了する。鳩尾の辺りがぎゅっと締め付けられた。
「僕はその、無防備に考え事をしている架乃に誘惑される。」
「……っ、」
 後ろから抱きすくめられて、耳元を亜麻色の髪がくすぐる。胸の前で組まれた理清の腕には、間違いなく僕の鼓動が響いた。
「独り言は周りを確認してからの方がいいよ、」
 どうやら声に出ていたらしい。教室内に居た級友たちはいつの間にか帰ってしまったようだ。しかし、よりにもよって本人の前で口にしていたとは。
 理清はいつものように意地悪く笑むと、正面に回って僕を真っ直ぐに捉えた。目を伏せて逃げようとしてもそれすら適わず。ずっと思っていた理清のその指先で、頤を固定された。
「その潤んだ瞳にも誘われるな。」
「な、に、云って……、」
 やっと絞り出した声すら塞がれるように顔を寄せてくる、彼の濃茶の虹彩がくっきりと浮かぶ琥珀色の瞳が少し細まって、続いて容のいい唇の片方の端がクイ、と上がった。
「たまには誘わせて、」
 少し掠れた理清の台詞に呼吸が止まる。



「一緒に帰ろう。」






‥了
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

COMMENT FORM

以下のフォームからコメントを投稿してください