ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。


中原中也「湖上」より抜粋





 夜の空気に夏の色が見える。けれども天に浮かぶまあるい月の輪郭は群青を滲ませて、朧月の様相の今夜。季節が移行する瞬間の危うい時間を愉しみたくて、僕は君を誘って湖の畔に立った。
 駈けてきた所為で少し上気した頬の君は鏡のような湖面を凝視すると、口元を綻ばせて僕を振り返る。その笑みに僕は少し途惑って僅かに視線を伏せ、それからゆっくりと君の瞳を覗き込んだ。
 消炭色(チャコォルグレイ)の君の虹彩に真珠の月が映る。同じように水面で月明かりを拾っている湖水を、通り過ぎる風が掻き混ぜていく。天と月とが混じり合った湖は、深く広い宙(そら)になった。
 時機に船がくる。
 僕は君の手を握ると、大きく息を吸い込んだ。
「行こうか。」
 芽吹く季節から、拡がる季節へ。






‥了
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