灯りの無い、暗く冷たいコンクリートの階段を一段ずつ下りていく。革靴の底が立てる高い音が、狭い空間に反響した。
 階段を下りきると鉄製の扉が有り、硬く閉ざされた其れは持ち主である僕すらも拒絶する様だ。
「確かに、そうかも知れないな、」
 独りごちて鍵を手にする。少し錆びた飾り彫りの鍵は僕の命より大事で、何よりも大切な物を隠す鍵だ。

 カチリ。

 ドアノブの下、鍵穴に挿した鍵を捻ると重い音と共に扉が開く。中から甘い薫りが溢れ出してきた。
「――扶けて、」
 か細い声が僕に懇願している。綺麗な音階の様な声。僕の大好きな君の、絶望を孕んだ声音。思わずうっとりと聞き入ってしまう。
 僕はその声に引き寄せられて、部屋の中に入った。中央に設えられているのは玻璃で出来た棺で、その端には大きな木樽が傾けられている。
「――赦して、」
 棺の中からの声が僕を呼ぶ。僕はその声に身を震わせると、棺の傍へと駆け寄り、中を覗いて跪いた。
「扶けて、」
 棺の中に横たわる少年は焦点の合わない視線を彷徨わせる。瞳孔の開いた黒曜石色の瞳は僕も映さない。それでもその色を維持出来るなら、仕方の無い事だ。本当なら最期まで僕を見続けていて欲しいのだけれど。
「怖ろしい事はもうすぐ終わるよ、だから、微笑んで、」
 そう云って彼の頬に触れ、静かに唇を被せる。甘い。
 苦痛に歪む貌も棄て難いが、やはり笑んでいてくれた方が僕も幸せだ。黄金色のとろりとした液体が、棺の中の半分程を埋めようとしている。少年の足元に有る木樽から流れ落ちる蜂蜜。それは彼の軀も顔も直に覆い尽くすだろう。蜂蜜の重さで身動きが取れず、辛うじて動く薄紅の唇は僕に赦しを請い続けている。何故?
「君は此処で僕の永遠になるのに、何をそんなに怯えているんだい、」
 玻璃の中で黄水晶の結晶と成る君。その姿を永遠に留めておける幸福。何処にも怯える要素は無いじゃあないか。
 音も無く緩やかに、蜂蜜が少年の顔を浸食していく。
「……っ。」
 薄く開いた少年の唇が大きな気泡を吐き出す。白磁の肌が黄金に輝いた。
 棺の縁まで溜まった蜂蜜は波立つ事も無く、凪いで内包した少年を美しく標本にしてくれる。彼はその皮膚の感触も生きた時と同じまま、腐敗もせずに僕の傍にずっと在り続けるのだ。
「黄水晶と謂うより、琥珀の様だね。」
 少年の唇の辺りの蜂蜜を、指で掬って舐める。それは甘露の甘さで僕を包んだ。
 最期に君が吐いた気泡が何と云ったのか、僕には聞き取れなかったのが少し心残りだった。





・・了

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