「桜の木の下には死体が埋まっているんだよ」
 そう云って玻璃の三日月のように薄く笑った君を、僕は忘れる事が出来ない。
「今年の桜は遅かったから、今頃、満開だね」
 堤防沿いに並ぶ桜の木々を見上げながら、君が静かに呟く。強い風に嬲られて、薄桃の花片が散り散りに舞っていた。
君の髪に花片が何枚も引っ掛かっている。手を伸ばす僕を制し、逆に僕の方へとその細い指先を向けた。
「君によく似合ってる」
 指が僕の髪を梳き、耳朶の形をなぞって離れる。ぴくりと大きく僕の肩が跳ねるのを見て、君はくつくつと咽を鳴らした。
 桜吹雪の中、白磁の膚を染めて艶やかに笑む君は魅魔のように綺麗だ。僕は呼吸を忘れて彼に見蕩れていた。
「桜の木の下には死体が埋まっているんだよ」
 君が僕の耳元へ唇で触れて囁く。甘い吐息が僕の内側を痺れさせた。
 ざわりと背中を何かが駆け上がる。突然強くなった風が視界を白く塞いだ。
「この桜並木には一本だけ白い桜の木があったんだ。君と一緒に見たから、憶えているだろう?」
 君とふたりで並んで歩いた小径。薄桃色の帯のように連なる花の中、ぽつりと白く光る樹を僕は確かにこの目で見ていた。
 強く吹く風の中、白い花片を僕はとても不思議に想い、君に問い掛ける。
「どうしてこの樹だけ染まらないんだろう?」
「染まったよ」
 風が一層強くなり、耳を打つ。視界は白から黒に変わり、しんと冷たい温度に囚われた。
 君の声が遠くなり、僕は闇に包まれる。
 僕はきっと何かを忘れている。
「思い出して」
 白い桜の下で君が笑った。
 ああ、僕は。
 僕はあの時、君の手で。
   
「桜の木の下には君が埋まっているんだよ」


 ・・了
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