夏期休暇が始まると、綺良と僕の関係は今までの『親友』に戻った。
 当初の予定通り、僕は彼とペルセウス座流星群を見る約束を取りつけたのだ。


 綺良の機嫌が直って良かった。
 綺良の行為を黙って受け入れて良かった。

 僕は誰かの代わりのキスを浴びる事で、綺良の許しを得たのだ。しかし、そう思うと何故だか息苦しくなってくる理由が、僕には分からなかった。


 あの日の熱いキスは、誰のものだったのだろう……。

 あれ以来ずっと僕の中に焼きついている疑問。
 濃紺の星空の中に浮かんでいるような錯覚と、あの日と同じ場所の同じ真夏の残り香に誘われて、僕は思わず綺良に声を向けていた。暗くて綺良の顔が見えない。
「羽瑠を僕のものにするためのキスだ。」
 何を言っているのか分からなかった。
「それ以外に、あんなキスなんてしない。」
 星が降り始める。綺良は立ち上がると準備してあった天体望遠鏡(テレスコォプ)を動かし、経緯儀(セオドライト)を使ってペルセウス座を探しだす。


 あれは僕のものだった……?
 あの体温も、体液も、心臓の音も何もかも僕のものだった。

 この込み上げてくる感情はなに?


「君は僕のことを好きじゃない。だからああするしか思い浮かばなかった。」
 天体望遠鏡を覗きながら綺良は続ける。流星群のせいで、彼の姿がうっすらと夜空に浮かび上がった。
「僕だって綺良のこと……、」
 思いもよらない事を言われて、慌てて訂正に立ちあがる。僕が綺良のことを嫌いなはずないのに。
「羽瑠は親友として僕のことを好いてくれているだけで、僕のそれと違う。」
 強い否定に僕は一瞬たじろいだ。
 確かにそうだ。僕は綺良を親友としてしか見ていない。


 本当に?

 本当に彼を親友としてしか見ていない?

 あの初めてのキスの感覚は?

 あの離されたくない衝動は?

 首筋から耳朶までの、今も残る綺良の存在は?
 

  一斉に星が流れた。
 僕の中の親友の枷が砕け散ったように。
 綺良の中の親友の枷が砕け散ったように。

 次々に溢れ出す星たちに、僕たちの心は押し流されていく。
 もう、夏期休暇前のようにはいかない。



「羽瑠は僕のものだよ。」
 耳元で囁かれて、僕は鳩尾のあたりが締めつけられた。
 大きくなる心臓の音を聴き付けられやしないかと、彼から離れようと身体を逸らすのだが、細いくせに力強い腕に抱きすくめられ動く事ができない。
「ほら、今君は僕のキスを欲しがっている。」
「欲しくなんか……、」
 ないと言い掛けた唇を塞ぐように押し当てられた指先。最後の抵抗など、なんの意味もなかった。
 その柔らかい感触に、身体が震える。経緯儀が音を立てて天体望遠鏡の角度を変えた。
「綺良のキスが欲しい。」
 なにも映さないであろう天体望遠鏡は、僕の内側に向けられている。僕は精一杯の感情を、綺良の瞳に映し出した。
「ほらね。」
 綺良は今までに見たことのない素直な笑顔で答えてくれた。彼の腕が僕の背中を包む。
 近づいてくる綺良の琥珀色の視線に触れただけで、僕は吐息が洩れるのを止めることができなかった。
 呼吸ごと塞がれる唇。あれほど大きな音を立てていた筈の心臓は今はもう穏やかで、逆にそれに煽られるように僕の方から綺良を強く求めている。
 流星のように次々と振る綺羅のキスを1つ残らず集めた時、僕の経緯儀は彼の位置で固定された。



 夏期休暇が終わったら、きっと僕は綺良のものになる。






‥了

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補足…経緯儀(セオドライト)は家庭用の天体望遠鏡に設置できるものではないようです。家庭用のものには赤道儀という物なら設置可能。
セオドライトと言う音に惹かれて今回の物語に使用しました。
天体望遠鏡は本当なら《astromical telescope》が正解。