雪に成りきれない雨が、其の重さのままに鉛色の天蓋から降り注いでいる。痛いほど冷たい雨粒は、窓の内側に居る僕の所にまで温度を伝えてきた。思わず身震いをして自分を抱くと、改めて書き物机に向かう。
 天板の上に広げたままの素描(Croquis)帳は相変わらず白いままだ。転がる鉛筆の影がくっきりと映っていた。
"何時になったら此処から出してくれるの、"
 素描帳の横から声が掛かる。その声を切欠に不満を顕わにしたざわめきが拡がった。標本箱の玻璃の蓋が軋む。このところ月光も浴びさせていないので、余計に機嫌が悪いらしい。
けれど天(Le ciel)の分厚い雲は僕の頭の中にまで垂れ込めていて、暗室の中のように何も視えない。失敗が効かない作業だけに、視えないまま取り掛かっても結局はまた、文句を云われるのだ。
「だってほら、何も浮かばない。」
 真っ新な頁を指の先で叩きながら答える。微かな振動で鉛筆が逃げるように滑り落ち、乾いた木材が触れ合う金属質の音を立てた。
"綺麗な音がしたね、"
"天が晴れる音だったね、"
 今度は口々に軽やかな調律の唄が響く。唄は標本箱の蓋から窓硝子へと細波のように伝わり、外へと抜けていった。すると窓の外を埋め尽くしていた重苦しい雲が綻び始め、その向こうに在る清んだ大気が姿を見せる。隠されていた陽の光が蒼く透明な大気に反射して虹を降らせた。
"ほら、視えた、"
「うん。」
 白紙の頁の真ん中に浮かぶ、赤・橙・黄・緑・青・菫・藍の色彩が君の姿を象る。僕は標本箱の中から原石の塊を取り出すと、落とした鉛筆を拾い上げた。
 他の職人はどうだか知らないが、僕はまず、原石の中で待つ貴石の形を素描帳に描く。原石のどの場処からどの場処までを削れば君に逢えるのか、君本来の姿を頭に浮かぶままに書き留めるのだ。
 そして今日もまた、黒鉛が紙の上で奏でる音を聴きながら、まだ見ぬ君のことを想う。



 Je me languis pour vous qui ne regardent pas encore.








‥了
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