無機質な空間に僕は座り続けている。
 窓はなく、幾重にも閉ざされた扉は既に開く機能すら忘れ去ったようだ。風があるのは天井近くで換気扇が動いているからで、その駆動音は耳鳴りと区別がつかない。
 でも、もしかするとそれももう違っている可能性もある。此処へ座り、視覚を捨ててからずいぶん経つ。目で見た記憶など今の僕にとって、取り立てて重要なことではなかった。



「僕は世界に戻るよ。」
 隣の空間に居る彼の突然の一言。厳密には言葉は使わず、彼は音階で話す。高低のない凪いだ音律が分厚い壁を通過し、僕に届いた。
 内側の修復が済んだらしい。
「ああ、それは良かった。」
 僕は目を閉じることで世界を閉ざし、彼は口を閉ざす事で世界から切り離されて此処に来たのだ。修理されたという事は、本当ならもう音階ではない言葉を使うのだろう。僕にはこの方が心地良いので助かるが。
「……君はまだ蟲を持っているのかい、」
 彼は微かに不安定な音程を出した。世界に戻るのに途惑いがあるのだろう。此処は限りなく静かで安定した場処だ。
「あげるよ。外界(そと)に出る君への餞(はなむけ)に。」
 そう、そして、
「世界がまた君を排斥しようとしたら、ゆっくりと食めばいい。」
 心喰い蟲をあげる。内側だけをきれいに、しかも確実に喰い尽す蟲を。恐怖も苦痛もなく安らかに、空っぽになるために。
「蟲喰いの禽には気をつけた方がいい。君の内側を蟲が喰い尽くす前に、外側から啄ばまれては適わない。」
「結果は同じだろう、」
 軽い旋律。嗤(わら)ってるのかも知れない。
「――同じ、」
「何も無くなる。」
「否、」
 低く刻まれる音に即座に異議を唱える。勘違いしてはいけない。
「禽は外側を喰い、蟲さえ喰らえば良いと思ってる。肝心の内側には目もくれないさ。」
 そう、だから気をつけなければ。
「内側だけ残されたら、君は堪えられるかい、」



 僕のように。



 だから僕は目を閉じ、総てを遮断する。そうでもしなければ、剥き出しの内側が毀れてしまうから。自らを護る外殻を失った僕には、外界は鋭すぎるから。
 換気扇の外の格子の向こうにあるらしい天(そら)の蒼さえ、僕にはただの凶器(狂気)でしかない。
 此処から出て行く彼らのための、餞の心喰い蟲を孕み続けながら。
 ただずっと。
 此処に座り続ける。






‥了
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