窓の三日月(クレセント)錠と天(そら)の三日月が並んで照る。僕は大きく伸びをするとするりと寝台を抜け出した。



 其処に地図は在りませんでした。


 床板を響かせないように爪先で歩いて机に向かう。少し温まった板張りの床は、ふわりと躯を浮かすようで心地良かった。
 机の前で踵を下ろす。抽斗をいっぱいに開いて、中からこの日の為に用意した白紙の羊皮紙を両手で取り出すと、広い天板に広げた。縁の揃っていない羊皮紙は少し反っていて、独特の匂いがする。何処かくすぐったくて、僕は声を立てないように笑った。



 三日月から始まる螺旋階段を下ると天が足下に見えて参りました。


 露台に出ると月の光が螺旋を描いて降り注いでいる。裸足でそのまま庭に出た。静かな夜は花片が舞う声が聞こえてきそうで、僕はそっと耳を澄ます。代わりに敷き砂利の中の雲母がきららと鳴った。
 天地の感覚が曖昧になって、明るい闇に包まれる。何故か愉しくて、僕の体温が少し上がった。



 扉の樹の鍵は其処此処に落ちておりました。


 門扉の脇に植えられた海桐花(とべら)の樹は外からの侵入を拒む。けれど内側からの接触にはほとほと弱くて、僕がその光沢のある細長い葉に軽く口付けると慌てて密集した枝を開いた。一層匂いがきつくなったのは、こんな時間に外界へ出る僕への魔除けの儀式みたいだ。本当に嬉しくて、僕は向かってくる海風に乗って駈け出していた。



 海の底の菫青石(アイオライト)に標(しるし)を付けておきました。


 海岸線に沿って白い雲が打ち上げられている。水平線の彼方で天から零れ落ちたに違いない。もしかしたら羅針盤座の星たちも流れ着いてやしないかと、僕はどきどきしながらそこいらを散策して回った。
 潮風を浴びすぎたのか喉が渇く。上着のポケットを探ると葡萄色の飴が二つ出てきた。その内のひとつを口に運ぼうとした時、天から星が滑って水面を打つ。驚いた僕の指先から転がった飴は、砂の上を転がって波に揺られる星の傍へ辿り着いた。触れ合った瞬間、硬質の音を立てて天へと沈んでいく。

 僕はとても哀しくて、次は君を連れてこようと思った。



 藍色のインクの鮮やかな、地図が其処にできあがりました。




‥了
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