梅雨明けの空は途端に高くなり、奥行きを取り戻す。何層にも分かれて漂う雲が、最奥では速く、一番低い処ではゆったりと流れていた。夏が来たのだ。暦の上ではもう随分と前に夏を迎えているが、深い天(そら)を見るまでは其れを感じることはできない。
 学校帰りに選んだ舗装されていない河原沿いの道は、草を刈った後の独特の青く湿った臭いで満ちている。
「精霊路(しょうろみち)の準備か、」
 墓地から戻ってくる精霊(しょうろう)たちの通る路は朔日に通される。ゆるゆる上がる気温に斜面に自生する夏水仙が揺れた。
「呼吸(いき)がね、止まるんだ。」
 背後からの声に振り返る。にこと笑む君。
「……葎(りつ)、」
「アレには毒がある。」
 僕を正面に見ながら僅かにずらした目線だけを夏水仙にやって、葎が隣に立つ。尖った肱を僕の肩に乗せると、葎の声がひんやりと耳に触った。
「君も、一緒に齧ったのに、ね。」
「何の、こと、」

 一緒に、何を、齧った?

 葎は本当に可笑しそうに身体を震わせてくすくすと笑った。頬に触れている君の亜麻色の髪の香りが僕の中の記憶を融かす。
「試しただろう、君が信じないから、」
「何を云ってるのか、解らないよ、」
 葎の声は何処か遠くに聞こえて、僕の中を通り過ぎていく。すぐ傍に居る彼を掴まえられなかった。
「彼岸花の種類には、毒がある。そう教えたのに、」
 嘲笑交じりの葎の声では、夏水仙が彼岸花科の植物だなんて云われても鵜呑みにすることはできない。それに水仙よりも百合に近い花の姿。
 しかも葎は普段から世事にも疎い僕を担いで揶揄(からか)った。急に暑くなったあの日、何故か僕は頑なに彼の話を信じなかったのだ。
「だったら、食んでみよう、」
 葎はそれ以上何も云わず、一人堤防の斜面を降り、川風に身を任せていた夏水仙を摘んで戻って来る。一本の茎に幾つか付いた華のひとつを僕に差し出す。手のひらに置かれた淡桃色の花が静かに誘っていた。
「……葎、」
 顔を上げた僕は、花色と同じ色の唇でふわと微笑んだ彼を見た。
 直射の熱が僕を撫でる。過去と現実が螺旋を描いて時を刻んだ。
「逢いに来てくれるとは思わなかった。」
「葎が来てくれないから、」
 手にしていた夏水仙を精霊路に投げ捨てる。
 僕たちは久し振りの逢瀬に時を忘れた。息をするのも、忘れるくらいに……。




君が逢いに来てくれるなら、
諡(おくりな)を呼んで、精霊路で待とう。
蝉時雨が途絶えても、ずっと、ずっと。

君が来ないなら、
僕が逢いに逝くよ。
君に逢うために、
夏水仙でも食んでみようか?






‥了
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