信仰心のまるで無いこの街に、また祭がやって来る。
ついこの前、盆の祭をし、提灯を並べ迎え火を焚き、そして送り火でここではない場処へ送り帰したというのに、また生きる場処の無い者たちを迎え入れる準備に忙しい。
外国からやって来たそれは『万聖節』と言い、正式には11月1日なのだが、この国ではその前日にあたる10月31日の『万聖節前夜祭』のみが意味の無いままに蔓延していた。
子供たちは皆「Trick or Treat?」と叫びながら家々を回り、ゼリービーンズや薄荷ドロップなどが色とりどりに入った菓子袋を貰う。この日ばかりは親から注意される事もなく、好きなだけそれらの甘いだけの菓子を頬張る事ができた。
思い思いの仮装と、暗くなってから外に出られる喜びがあいまって、毎年祭は派手派手しく飾り立てられつつある。宗教色を置き去りにした行事は、子供たちが夢中になるのに充分な要素を内包していた。
魔女や怪物を模した仮装が、あちら側の世界から現われた悪霊たちを驚かせて退散させるためのものだと知っている者が、この盛り上がる祭の中に何人いるのだろうか。
僕はその仮装の輪の中に入るほど幼くなく、かといってまるで関係の無いような顔もできずに、部屋の窓越しに賑やかな秋の夜を感じていた。
コン、コン……、
誰かが扉を叩く音がする。子供たちの列がやって来たのだろうか。
コン、コン……、
音は近い。まるで僕の部屋の戸の音のようだ。窓の外で南瓜提灯(ジャック・オ・ランタン)の灯りがゆらりと揺れた。
暗い部屋の中を漂うオレンジ色の霞に誘われるように部屋の戸を開ける。冷たい風が吹き込むだけで誰もいない。
不思議に思いながらも、家の中の何処かの窓でも開いていて、そこから吹き込む初冬の吐息が部屋の中を舞っているのかもしれないと思い直した。
僕はまた外の景色を眺めようと、窓を振り返る。
「やあ、」
いつの間に入ったのか、見知らぬ少年が窓際の寝台に腰を下ろしていた。
人懐っこい笑みを浮かべた少年は、僕が声無く立ち尽くしているのを見ると、肩を竦めて見せる。何をそんなに驚いているのか、という顔で。
「君は祭には参加しないのかい?」
少年は鮮やかなオレンジ色の髪を無造作に掻き揚げながら、丁度窓の外を通り過ぎた一団を顎でしゃくる。
まだ状況を把握できない僕は呆然と少年を見つめ続ける事しかできなかった。
「ああ、」
少年はころころと表情を変え、今度は一人納得した様子で手を打つ。
「彼が参加しないから、か、」
挑発する視線が僕に絡みつく。
瞬間に後悔が襲う。僕は少年の術に落ちてしまっていた。
「彼は仕方ないんだ、今日は家から出られない。」
「君のせい、でね、」
呼吸を忘れてしまうほどの衝撃だった。背中を温い汗が伝う。
大切にしていた想いとともに彼は壊れてしまった。いや、自らを閉ざしてしまった。僕があんな事をしたばかりに。
ずっと一緒にいたのに、僕の感情がそれを失わせる。
今までの時間が一挙に流れ落ちてしまった。
もう、その手に汲み置く事はできない。
「Trick? or Treat?」
「え、」
少年は立ちあがり様にそう言った。
オカシヲ クレナイナラ イタズラ スルヨ
両手で僕の頬を包む。木枯らしの冷たさが少年の指先から僕の中に潜り込み、胸の中でかさかさと騒ぎ立てた。
悪戯っ子の笑みのまま少年は続ける。
「君を頂戴。くれないなら、彼を貰っていくよ。」
「どう言う、事、」
「僕は君が気にいった、君が欲しいんだ。」
「分からない。」
僕は強く言い放った。
一体なんだって言うんだ。
彼は一体何者。
意味不明なままに続けられている祭の狂気にひきづられた新精霊(にいじょうりょう)が、自分の感情すら制御できなかった愚かな人間を揶揄(からか)いに来たのだろうか。
それとも万聖節前夜祭にのみ命を与えられた南瓜提灯の見せる幻……。
窓の外にもオレンジ色の揺らめき。
部屋の中にもオレンジ色の誘惑。
僕の視界に点在する鮮やかな色の幻影に、眩暈を覚える。
「君をくれるの? それとも、彼?」
答えを急かす少年の右目の下に、泣き黒子。
僕は彼だけでなく、この少年までも泣かせてしまうのだ。
そう思った瞬間、僕の思考は空回りを始めた。
僕を少年にあげてしまったら、彼はいったいどうなるのだろう。
僕が居なくなれば、彼はまた、今まで通りの時間を歩き出すに違いない。僕の事など、初めから無かった事にすれば良いのだから。
そして僅かな傷痕も残さずに、彼は以前の笑顔を取り戻すのだ。
僕ではない、誰かの隣りで。
君の側に居られないのなら、君を失った方が良い。
君を想う僕が消えなければ、君の存在は無くならない。
僕の眼が、指が、体温が、記憶が、君の事を感じ続けるだろう。僕の中では君を無くす事はないのだ。
それに君が僕以外の他の誰かの隣りで笑っているのを、直視できるほどの正気を持ち合わせてはいない。
「そう、」
嬉しそうに少年は頷くと、窓の外に映るオレンジ色の灯に交じり合い、解けてしまった。
外では貰った菓子袋の中にチョコレエトを見つけて揚げられた歓声が、冴えた夜空に昇って行く。
僕は何か間違ったのかもしれない。
‥了
ついこの前、盆の祭をし、提灯を並べ迎え火を焚き、そして送り火でここではない場処へ送り帰したというのに、また生きる場処の無い者たちを迎え入れる準備に忙しい。
外国からやって来たそれは『万聖節』と言い、正式には11月1日なのだが、この国ではその前日にあたる10月31日の『万聖節前夜祭』のみが意味の無いままに蔓延していた。
子供たちは皆「Trick or Treat?」と叫びながら家々を回り、ゼリービーンズや薄荷ドロップなどが色とりどりに入った菓子袋を貰う。この日ばかりは親から注意される事もなく、好きなだけそれらの甘いだけの菓子を頬張る事ができた。
思い思いの仮装と、暗くなってから外に出られる喜びがあいまって、毎年祭は派手派手しく飾り立てられつつある。宗教色を置き去りにした行事は、子供たちが夢中になるのに充分な要素を内包していた。
魔女や怪物を模した仮装が、あちら側の世界から現われた悪霊たちを驚かせて退散させるためのものだと知っている者が、この盛り上がる祭の中に何人いるのだろうか。
僕はその仮装の輪の中に入るほど幼くなく、かといってまるで関係の無いような顔もできずに、部屋の窓越しに賑やかな秋の夜を感じていた。
コン、コン……、
誰かが扉を叩く音がする。子供たちの列がやって来たのだろうか。
コン、コン……、
音は近い。まるで僕の部屋の戸の音のようだ。窓の外で南瓜提灯(ジャック・オ・ランタン)の灯りがゆらりと揺れた。
暗い部屋の中を漂うオレンジ色の霞に誘われるように部屋の戸を開ける。冷たい風が吹き込むだけで誰もいない。
不思議に思いながらも、家の中の何処かの窓でも開いていて、そこから吹き込む初冬の吐息が部屋の中を舞っているのかもしれないと思い直した。
僕はまた外の景色を眺めようと、窓を振り返る。
「やあ、」
いつの間に入ったのか、見知らぬ少年が窓際の寝台に腰を下ろしていた。
人懐っこい笑みを浮かべた少年は、僕が声無く立ち尽くしているのを見ると、肩を竦めて見せる。何をそんなに驚いているのか、という顔で。
「君は祭には参加しないのかい?」
少年は鮮やかなオレンジ色の髪を無造作に掻き揚げながら、丁度窓の外を通り過ぎた一団を顎でしゃくる。
まだ状況を把握できない僕は呆然と少年を見つめ続ける事しかできなかった。
「ああ、」
少年はころころと表情を変え、今度は一人納得した様子で手を打つ。
「彼が参加しないから、か、」
挑発する視線が僕に絡みつく。
瞬間に後悔が襲う。僕は少年の術に落ちてしまっていた。
「彼は仕方ないんだ、今日は家から出られない。」
「君のせい、でね、」
呼吸を忘れてしまうほどの衝撃だった。背中を温い汗が伝う。
大切にしていた想いとともに彼は壊れてしまった。いや、自らを閉ざしてしまった。僕があんな事をしたばかりに。
ずっと一緒にいたのに、僕の感情がそれを失わせる。
今までの時間が一挙に流れ落ちてしまった。
もう、その手に汲み置く事はできない。
「Trick? or Treat?」
「え、」
少年は立ちあがり様にそう言った。
オカシヲ クレナイナラ イタズラ スルヨ
両手で僕の頬を包む。木枯らしの冷たさが少年の指先から僕の中に潜り込み、胸の中でかさかさと騒ぎ立てた。
悪戯っ子の笑みのまま少年は続ける。
「君を頂戴。くれないなら、彼を貰っていくよ。」
「どう言う、事、」
「僕は君が気にいった、君が欲しいんだ。」
「分からない。」
僕は強く言い放った。
一体なんだって言うんだ。
彼は一体何者。
意味不明なままに続けられている祭の狂気にひきづられた新精霊(にいじょうりょう)が、自分の感情すら制御できなかった愚かな人間を揶揄(からか)いに来たのだろうか。
それとも万聖節前夜祭にのみ命を与えられた南瓜提灯の見せる幻……。
窓の外にもオレンジ色の揺らめき。
部屋の中にもオレンジ色の誘惑。
僕の視界に点在する鮮やかな色の幻影に、眩暈を覚える。
「君をくれるの? それとも、彼?」
答えを急かす少年の右目の下に、泣き黒子。
僕は彼だけでなく、この少年までも泣かせてしまうのだ。
そう思った瞬間、僕の思考は空回りを始めた。
僕を少年にあげてしまったら、彼はいったいどうなるのだろう。
僕が居なくなれば、彼はまた、今まで通りの時間を歩き出すに違いない。僕の事など、初めから無かった事にすれば良いのだから。
そして僅かな傷痕も残さずに、彼は以前の笑顔を取り戻すのだ。
僕ではない、誰かの隣りで。
君の側に居られないのなら、君を失った方が良い。
君を想う僕が消えなければ、君の存在は無くならない。
僕の眼が、指が、体温が、記憶が、君の事を感じ続けるだろう。僕の中では君を無くす事はないのだ。
それに君が僕以外の他の誰かの隣りで笑っているのを、直視できるほどの正気を持ち合わせてはいない。
「そう、」
嬉しそうに少年は頷くと、窓の外に映るオレンジ色の灯に交じり合い、解けてしまった。
外では貰った菓子袋の中にチョコレエトを見つけて揚げられた歓声が、冴えた夜空に昇って行く。
僕は何か間違ったのかもしれない。
‥了
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